PCDJの歴史(札幌観測分)

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JUGEMテーマ:クラブ・ダンス

※この原稿は https://adventar.org/calendars/5607 のカレンダー企画に寄せたものです。

 

PCDJの歴史(札幌観測分)

~序章~

それは、1999年夏の事だった。

音ゲー(beatmania/DDR)が空前のブームだった

私もゲーマーとして当然はまり、背面プレイに傾倒するようになった

いつものゲーセン、ブームに大勢の人が来ていたが常連もおり、この時の常連は

一日で何店か転戦するアクティブさがあったので札幌では割と大人数の音ゲー界隈が出来つつあった。

すでに30歳位であった私はある程度友好を広げながらもこのブームに若干の違和感を抱いていた。

元々、中学高校あたりからディスコ、クラブに行っていただけにダンスゲーム、DJゲームに夢中になっているこの人たちは

クラブに行ったことではないのではないか?

では、音ゲー曲をクラブで聞いたらどうなるのか?そうして1999年夏に企画が始まった。

音ゲークラブイベントを2000年1月にやろう

常連たちがスタッフとして何人か手伝ってくれる事位なった。

だが、ここには大きな問題があった。

DJがいないのだ。

私は遊び歩いていたがDJやろうと思ったことすらなかったしやろうとも思わなかった。

それに加えて、当時CDJは一般的ではなく大きく普及したのは2002年のCDJ800だと記憶している

つまり、レコードしかない

だが音ゲー曲のレコードがあるわけもなくCDも使えない、ダンスマニアがプロモ版数枚あるとはいえ

イベントができる状況ではない。当然1999年にDJソフトなんてない。

イベント開催を告知しておいて手段がなく行き詰ったように見えた

 

~光明~

当時のDJたちも同じような状況でレコードの無いものは無理だねとのお話

CDRも出始めで手段としてはアリだけどCDJ設置店が少ない というかあるの?ってレベル

そしてある日、趣味としてのパソコンでACIDというDTMソフトがあることを知った

簡単に言えば曲を作るソフトなのだけどBPM合わせて曲をつなげる事もできたのでこれでやってみようと

一人で解決したように思っていた

だがしかし! まだ世間が追い付いていなかった

AMD K6-2 をオーバークロックしたフルタワーの最強PCですら、MP3を複数再生することはマシンパワー的にできなかった

あえなく全部wavに変換、HDD容量の圧迫と、しかもトラック数が多いと再生しきれないメモリとマシンパワーの無さから

30分でいったん区切らなければならなかった

ここは幸いと大人気のゲーム筐体ながら知り合いのコネでDDRを借りて転換の間にパフォーマンス大会をやってごまかした

50数人だったが当時狸小路の1丁目にあったNOISCAFEという箱だった

なんとかPCもフリーズせず終えることができた 奇跡だ

この頃、すでにconnect!!!主催ak.( @ak_gatare )が居た 長い付き合いだ

 

~第二回~

好評すぎたため2000年夏に第二回を開催決定

場所は皆さんご存じ PLASTIC THEATER

世間では FinalScratch や TRAKTOR が試作のような形で発売されていたようですが、まだネット黎明期に知る由もなかった。

PC自体がK6-Ⅲのオーバークロック版にパワーアップ!ACID上でのファイル操作が少し軽くなり

しかも、BPMを事前に計測しておけばMIX制作しなくても次この曲!とドロップできるようになったのが大きく

リクエストにも答えられるようになりました。

今のPCDJのリクエスト対応みたいなことはここからスタート

2000年の夏のPCDJの様子です デジカメが大きく普及する前なので貴重な写真

手前が私、ブラウン管モニター+K6-ⅢのAT規格フルタワーPC、そしてDJミキサーの前に

BOSSのミキサー無駄に16ch BX-16 つないでますね

まだ自分をDJと思ってないからDJミキサーでなく持ち込みのミキサーで音量とマイクいじってたんですね

そして・・・

PLASTIC THEATERにDDRの筐体搬入しました

行ったことある人なら狂気と思うでしょう 搬入できました

東京より中野氏がゲストパフォーマー!

奇妙な機材ばかり持ち込んで箱には大迷惑だったかもしれないが・・・

そんなこんなでオールナイトのイベントは200人を超え終わり、次回半年後にしましょうと言う事になりました

 

~そんなわけない 機械の進歩が速かった時代~

今となっては怒られそうなタイトルですが20年前なので時効?

3回目は2001年冬だったか?

いい加減、ACIDというかDTMソフトで再生するにも限界を感じていた頃、黎明期の全然情報もないネットで

こんな記事を見つけました

「新しい時代の幕開け WINANP2台同時立ち上げでDJプレイ 東京のクラブで!」

今探しても見つけられないのですが、同じころやはりメディアがレコードに限られる問題のせいか

音楽なんでも再生できるPCに着目したDJさんもいたようです

WINAMPというのは、音楽再生ソフトでwindowsメディアプレイヤー2つ起動して切り替えていくとか

itunes二個起動して交互に再生していくとかそんな感じですね

BPMの概念は置いといてDJとしてフロアみて曲選んでいこうという別のアプローチじゃないかと思います

これも試せば色々問題があってそれなりに重いというのと当時の解像度の小さい画面でエクスプローラーから曲えらぶと

プレイヤー隠れたり、曲をダブルクリックするとどっちのプレイヤーに行くのかわからなかったり

前奏飛ばせなかったり・・・

ただ選曲が出来るという点で3回目からこのスタイルにしました。

この時にやっとオーディオインターフェイスを二個搭載して何とか動くようになりました

 

これが私の知るPCDJのスタート(2000年)です

2-3年後にはセラートトラクターが出てき、2006年には名機VCL-100が出て本格的にPCDJの時代が始まります

 

1999年東京でPCDJをした人がいてニュースで何かの記事になっていたと言う事と

どこかの記事でいぬ氏@inu )が80年代にPCDJをやったという旨の記事を見た気がするのですがどこかわからず

残念ながら日本初ではなさそうです

しかし80年代のPCで2曲再生してMIXはスペック的にできなかったと思うのですが機会があればお話をしてみたいけど

叶わないだろうなぁ

 

その後数回開催した後、仕事で盛岡に転勤になった私は、ayano’sBARにて田中さんと出会い(現在東京青山?に有り)

音楽論を教わり

同市LOGICにて5年毎日師匠についてもらってアナログDJの修行をする事となるのですが、

実質DJというものを意識したのは師匠についてから

CDJはのちに800mkⅡを買うまではほぼノータッチ

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